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投稿日時: 2016-02-17 (544 ヒット)

キーワード:ビッグデータ、IoT、モノのインターネット、Industrie 4.0、限界費用ゼロ社会、共有型経済、コモンズ、スマート工場、スマート社会、デジタルヘルス、データヘルス、予知医療、個別化医療、遠隔医療、在宅医療、多職種連携、医師・患者関係、情報のコントロール権


医療・介護・保健分野におけるビッグデータの活用と患者の権利
――モノのインターネット(IoT)の先にあるもの
『生命倫理・生命法研究資料集』Ⅱ、2016年に掲載予定。

業績→生命環境倫理学関係→論文からダウンロードして下さい。


投稿日時: 2015-12-15 (394 ヒット)

松田純 WHOの健康定義に代わる新しい健康概念の意義について
キーワード:健康,医療化,先制医療,過剰医療,エンハンスメント,過少医療,無益な治療,尊厳死

業績→生命環境倫理学関係→論文から


投稿日時: 2015-10-11 (440 ヒット)

GLOBE No.168 義手・義足の特集
難病やリハビリテーション、エンハンスメントに関連します。
最後に松田純の談話が掲載されています。

私がそこで言いたかったことはこうです。

技術の発展は人間と機械の境界をぼかし始めている。サイボーグとは「人間と機械の融合体」のことだが、これは人間の自然の姿に反するのではないか、と違和感を持つ人がいる。だが、私たちはとっくに自然を超えている。
 人類は道具や技術とともに進化し、それが人間の脳をたえず再編成してきた。パソコンがなければ自分の日程が分からない人もいる。パソコンやスマートフォンは、体内に埋め込んでいないだけで、頭脳と記憶の外部化だ。私たちはすでにサイボーグだと言える。これは人間学的な結論。
 倫理的に問われるべきは、人間のサイボーグ化は是か非か、ではない。私たちはどんな社会を目指したいのか、だ。
 お金のある人だけが最新の技術を利用できるとすれば、技術の高度化が社会的な格差を固定しかねない。超人的なサイボーグ技術ばかりを追求することで、社会の連帯が失われてしまう恐れがある。
人類はこれまで、病気や障害のある人たちを社会全体で支えてきた。技術の発展と互助の文化が両立する道を探る必要がある。そのためには、スーパーヒューマン(人間を超える存在)を目指す技術ではなく、弱い立場にある人たちを支援するための技術の開発のなかから世界のトップを目指す、という心意気が重要ではないか。


投稿日時: 2015-10-11 (486 ヒット)

倫理原則と思いやり。大事なのはどっち? 医療者や対人援助職が悩む倫理的な問いに私なりに応えてみました。
松田純、医療倫理における倫理原則と徳

原稿は業績→生命環境倫理学関係→論文から


投稿日時: 2015-10-11 (329 ヒット)

ヘーゲル歴史哲学の実像に迫る――新資料に基づく最終学期の構想
山﨑 純

原稿は業績→ヘーゲル研究→論文から

要旨
精神の歴史性という二〇世紀の思想を先取りする内容をヘーゲルは発見したが、それを「世界史の哲学」として展開しようとしたところで、発見されたばかりの「歴史性」が隠蔽されてしまった(イェシュケ)。この重要な問題提起を理解するところから始め、その「世界史の哲学」という枠組みのなかでも、歴史の哲学の原理的考察をめざした最終学期の自筆草稿に注目し、ヘーゲル歴史哲学の最後の実像の再現を試みた。
 世界史はヘーゲルの体系では、客観的精神のなかで国家という一個の実体が完結し、それが他の国家という別の実体と関わるところ、つまり国際関係のなかに位置づけられている。この世界史のなかに、ヘーゲルは自らの哲学的テーゼである<精神の自己知>に基づく「自由の意識における進歩」 を読みこもうとした。しかし、国家内では通用する法が支配できない国家間関係は自然状態であり、このなかに「自由の意識」の実現を見るというのは無理がある。国家を完結した実体としてとらえようとしたヘーゲルの限界が、ここに現れている。
 国制レベルの自由は本来的には、法制史・憲政史として展開されるべきであった。しかし、ヘーゲルは歴史法学派との対決という当時の学説史的な事情のなかで、この課題を忘れてしまった(イェシュケ)。
 精神の歴史性の哲学的展開と法・権利の概念の歴史的展開(西洋法制史)、この二つを怠った結果、生じた空白、そこを埋めるようにして、「世界史の哲学」が講じられた。その講義内容がガンスとカールという二人の編者によって、さらに歪められて伝えられた。これがヘーゲル歴史哲学をめぐって、さまざまな非難が出される原因となった。


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